shishintheboardのブログ

小説、雑誌、新書、専門書、TV、ニュース記事などからの気になったことをメモしたり、そこから掘り下げて黙想したいことを書き綴ります。どんな形でもいいから、表現化したいな~。

沢木耕太郎の『一瞬の夏』

毎年思い出したように、『一瞬の夏』が読みたくなるときがある。その上下巻の文庫本を手放しても、手放しても買いなおして読むほどだから、よほど好きらしい。


沢木耕太郎の新刊を追いかける時期もあったが、ノンフィクション作家を超えて一風かわった小説家になってきたというのもあり、また、以前のような校正に校正を重ねた文章ではなくなったような、幾分か滑らかすぎる文章に嫌気をさしたこともあり、最近のものをそれほど読んではいなかった。『壇』を読んだのがいつだったか、という感じ。


『一瞬の夏』を読みながら、好奇心に任せてネット検索をかけると、以前には想像するしかなかったカシアス内藤の姿や、私のような読者の感想などに出会えて新しい刺激になる。小説的な技法が当時の文章にも用いられている、そんな気がして読み返している。読み直しにもいろいろな工夫をして読めるものだ。上巻では、ヘビー級の大戸との対戦で勝利したところで終わっていて後味も悪くないが、下巻では志なかばでノックアウト負けに帰することになるので、読み進めるのがだんだんと辛くなってくる。だが、沢木はこの作品のなかにボクシングの名選手の逸話ばかりでなく、プロレスや興行の話、都会と田舎のジム経営の比較など、盛り込めるものをふんだんに盛り込んでいるところが面白い。自己を燃え立たせて最高の結果を出せる「いつか」を求めて奮闘するも、現実の厳しさと必然的ではあるが、不遇な出来事を受け入れるなかで、やるせない思いを抱かざるをえない。


沢木自身をこの現実の物語に登場させるという「私フィクション」の傑作というのが、世間の評価であり、私もそのように思うのだが、素材選びに時代がついてきたという感もある。東洋チャンピオンとはなったが、世界には届かなかった混血のボクサー。カムバックするが、夢はその途中で破たんしてしまう。たんなるヒーロー賛歌にはならなかったことが、作品としての成果なのだ。皮肉な結果とも言えるが、それを見越しての沢木の素材選びに功があるとも言える。新刊の『春に散る』は、どうだろうか。気にはなっている。