shishintheboardのブログ

小説、雑誌、新書、専門書、TV、ニュース記事などからの気になったことをメモしたり、そこから掘り下げて黙想したいことを書き綴ります。どんな形でもいいから、表現化したいな~。

T&Tがやはり面白い!



T&Tブームが、二〇二〇年私の中で再熱している。


T&Tとは、テーブルトークRPGのトンネルズ&トロールズのこと。1970年代に初版が登場したということで、イラストはいまどきのスタイリッシュさはないが、逆にそのノスタルジック的な雰囲気がおじさん好みで心地よい。米国では、オールドスクール・ファンタジー系に分類されるらしい。有名なD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)よりもルールが簡素化されている。私にとっての魅力は、なんといってもその敷居の低さだ。六面サイコロ(ダイス)を多めに用いるので、それをネット通販などで入手するなど、GM(ゲームマスター、プレイヤーのために判定したり案内したりする)の準備には多少の工面はあるけれど。ルールブックはT&T完全版が三千八百円。ちょっと高価かな。お試しをしたい人には、『T&Tアドベンチャーコンペンディウム』がお薦めだ。(ネット通販かイエローサブマリンなどのゲームショップで購入可能。一般の本屋ではなかなかお目にかかれないのが不満。千八百円。) 完全版の簡易ルールが付属されているので、この一冊だけで多くのミニソロアドベンチャーを愉しめ、ゲームの仕組みがよく分かるように工夫されている。また、第五版なら文庫サイズの中古を、比較的安価で手に入れられるはずだ。私の場合、『ブループリント』というボードゲームに付いていたダイスに、青ダイス十個ほどを買い足して利用している。ダイスタワーは、木製の自家製だ。さらにGMスクリーンを自作してしまうほど、何年かまえは熱中していたが、今回の再燃で、ふたたび重宝している。GMをいざやろう、という雰囲気になれるのがいい。


T&Tは、子どもたちからの受けもいい。考えてみると、はやり簡単にキャラクターをつくれて、場合によっては、ミッションに失敗して死亡してしまうスリルも味わえるからか。攻撃まえの命中判定などで、あまり時間を取られずに済むというのがいいのかも。(飛び道具使用の場合はそれがいるのだが、我が家ではそれを怠っていた。反省。) そして、ソロアドベンチャーが充実しているので、自分のキャラを鍛錬し、GMセッションに備えることができる点もうれしい。ソロの面白さは、たとえ一度遊んでしまった作品でも、キャラを代えて再び挑戦できるところだ。いくつものソロをプレイした後では、その内容も忘れてしまっているし、以前とは違った選択をすることも多々ある。そして、ソロアドベンチャーの一作品を堪能したその高揚感をもって、それをヒントにGMシナリオを用意すれば、みんなで愉しめるものにもなる。私は万年初心者GMだけれど、T&Tのソロアドとシナリオを一部変更して分かりやすくしたり、私独自シナリオの参考にしたりするのが愉しみになってきた。最近、私がGMしたシナリオは『洞窟探検』だが、ほぼ私のオリジナルだ。第五版ルルブ(ルールブック)付属の『トロールストーンの洞窟』に似た部分もあるが、それが私にとって最初のダンジョンものだったのだから仕方がないでしょ(冷や汗)。


私がGMをする場合、プレイヤー用の地図を小出しにしたり、モンスターの画像カードを見せたり、魔法アイテムのトークンを配ったりするのが好きだ。ミニチュアの宝物箱からコインや宝石を出すようなことも、プレイヤーに愉しんでもらいたい。ファンタジーの世界観なのだから、「紙と鉛筆とダイスだけ、あとは想像力で」というのもいい。まったくの言葉だけでイメージを共有できればそれはそれで理想的なのだけれど、ゴブリンがどのような姿かたちをしているのか分からない初心者プレイヤーもいるのだ。子どもたちの想像と集中力は、どうやってこの冒険を進めるか、どちらの道を選ぶかなどに使ってもらいたいと思う。ミニフィギュアや立体的な建物セットを用意するのに凝る人もおられて、すごいと思う。そこまではいかないが、百均でそろえたマグネットピンをプレイヤーに見立てて置いたり、プレイヤー用のマップを厚紙や段ボールでつくったり、拾った小石も利用するなどして安価で済むように工夫している。


先輩GMの話を聞くのは、本当に愉しい。米国ではD&DのGM(DM、ダンジョンマスターというらしい)研修会なるものがあるらしい。とてもうらやましく思う。それでも、毎朝メールで届く『FT新聞』を愉しみに読ませてもらっているし、GMの苦労話やセッションがうまくいった写真付きツイートを読ませてもらうと、自分のことのようにうれしくなる。T&Tに限らず、他のTRPGシステムのことだって、GMの準備の仕方や進行の実際的な対応などが参考になる。世界観を広げるために、中世ファンタジーの小説や他のTRPGリプレイを読むこともある。


私のT&Tは、完全版簡易ルールをベースに、第五版の“ええとこ取り”をしたハウスルールを用いている。代名詞といわれるバーサーク戦闘もそのやり方を実際に見たことがなくて、今のところ不採用なのが残念。ただし、ルールについては、プレイでの反省、ルルブや参考資料からの発見があるたびに、追加更新している。T&Tは古きよきごっご遊びだが、デジタル時代にあってアナログを求める現代人にとっての心地よい休息の場でもある。それに、古いままの遊びではない。ソロアドベンチャー各作品が随時発行されているし、『ウォーロック・マガジン』などに掲載されるシナリオ提案や魔法アイテムリストなどを、自分たちのセッションに補充できるのだ。なので当分、飽きることはないだろう。


理想的なのは、GMシナリオを何人かのメンバーでプレイし、それをリプレイやソロアドベンチャーにつくり直して保存すること。以前にGMした既製シナリオとGM用手書きノートだけでは、詳細を忘れてしまっていてふたたび同じように遊ぶことができないからだ。それに、愉しんだ後の反省点を書き留めておかないと、進歩につながらないし。GMシナリオは一度きり、と割り切って新鮮さと即興のだいご味を求めておられる先輩GMも多い。でも私にはもったいないと思ってしまうところがある。このブログに書くこと、それすら時間が取れないならば、せめてツイートだけでもしていきたいと思う。

ふたたびTRPG熱がやってきた

年末年始には、お気に入りのラジコンバギー(タミヤのDT03)を調整し、走らせるなど、独り遊んだ。子どもたちを連れて難波のトレカショップへも行った。お年玉効果で父親の私よりリッチな息子たちをしり目に、安価なデュエマとギャザカードを入手する愉しみの時もあった。さらに、ミニ四駆コースのある難波ジョーシンで熱中したりもしていた。だが、なにか満たされないものを感じていたのも事実である。


地元のごいた定例会には1月に一度だけお邪魔し、我が家でもボードゲーム「宝石の煌めき」、「オリジン」等を少しだけたしなんだ。TRPG雑誌(TtTやウォーロックマガジン)を読み返しながら、徐々にファンタジー系TRPGモードになり、気づく。そうだ最近、TRPGをやっていなかったと。私にとってのTRPGとは、T&T(トンネルズ&トロールズ)であり、ソロプレイと派生的な少人数向け単発シナリオ・セッションである。雑誌のシナリオをアレンジしてGMの準備をするのは楽しいが、骨のいる作業でもある。まずは、新キャラを作成し、ソロプレイからやり直してみるというのが、私のいつものパターンだ。万年初心者TRPGプレイヤーなわけだが、しかたがない。


ツイッターで上の地図&説明文を拝見し、ダウンロードさせていただいた。著者はD&D(ダンジョンズ&ドラゴンズ)を想定しておられるようだが、T&Tでの利用を考えてみたい。許可はいただいたので、心置きなく準備したい。今年の初GMセッションはいつになるか? 骨の折れる作業でもある。とはいえ、愉しみたい。

本を読む

 
 私の本の読み方は、偏っていると思うし、知識を貯めるほど読み漁っているわけでもない。小説に関していえば、読書というよりもTVドラマの原作を機会があれば読んでみようかなという程度のものだ。最近ではW杯のラグビーブームに一役買った『ノーサイド・ゲーム』が読みたくてしようがなかったが、録画したそのドラマを何度か見返しているうちに興味が薄れてきた感じ。池井戸作品では、『下町ロケット』、『ルーズベルトゲーム』を観たし、読んでも面白かった。『半沢直樹』ものの原作は読んでいないが、あれはTVドラマで充分に堪能できたと思う。TVドラマの続編も期待している。社会人としてがんばってのし上がっていく姿は、昔の植木等の無責任男シリーズなどを彷彿させるが、それにプラスして、競技スボーツやランニング、ロケット開発などをからめて読者を飽きさせないよう、二部構成にした点がうまく機能している。


 以前ワイドショーでやっていたが、図書館を利用して読書を続けている人は、比較的に長生きするのだという。なるほどだと思うが、私の場合、借りた本を読むというのが、どちらかというと苦手だ。自分のものにして、書きこむことや付箋を貼りっぱなしにする傾向がある。とはいえ、文庫版を安く手に入れて心置きなく読むというだけのことだ。文庫化されていない新しめの作品は、おおいに図書館を利用したい。
 エッセイを一時期、読み漁ったことがある。向田邦子の『父の詫び状』や、阿川佐和子と檀ふみの『ああ言えば、こう食う』などだ。面白可笑しく読めるエッセイは気軽に読めるし、また読み返したくなるほどの秀作は、一度手放してもまた買いなおしてしまうほどだ。ただ苦しい経験をしてから、ふとしたきっかけで立ち直り、その後の人生を豊かにしていった人の逸話や体験談ほど、自分の現状を投影して感情移入しやすいものも他にないと思う。


『ワセダ三畳青春期』という文庫本がある。早稲田大の探検部に所属し、大学近くの古アパートに引っ越してきた万年四回生だった高野秀行という人が書いた11年間の自伝的ノン・フィクションのような、エッセイのような作品だ。「第一回酒飲み書店員大賞(2006年)」を受賞したということで、ふだん新刊を買わない私の目にも留まったのだと思う。集英社文庫というのは、私の中ではマイナーで、かつて大好きだった『船乗りクプクプの冒険』(北杜夫)以来、ずっと手にする機会がなかったが、なぜかこの作品には惹かれるものがあった。いまでは何度も読み返すほどのお気に入りである。考えてみれば、私自身、米国の田舎町にある三流大学での寮生活は、楽しいこともあったが、往々にして苦い思い出なのだ。二人部屋の寮のあの空間、あの寂しさを思い返すために、読みたくなるのかもしれない。幸いにも私は五年かかってなんとか卒業できたが、高野氏ほど、豊かな青春期を過ごせなかったと思う。彼には仲間があり、出会いや機会を面白可笑しく消化してゆく自由さとまじめさがある。毎回、この本を読みながら、うらやましく思うのだ。私の場合、もっと友人や家族や出会いを大切にしてくれば良かった、その後の人生が違ったものになったはずだ、と思わされるのである。